金魚、死す。

2024年04月20日

でぶっちょでない方が死にました。よく痙攣していたので想定のそとではなかったが、砂利に座って?よく落ち着いて(休養して)いたので、やや突如感はあります。

思うに、「死」は「生」よりも不思議な事象です。

細胞分裂で発生することは、生きてるやつから生きてるやつができるので連続性を窺える。「地球最初の有機物誕生」は、たな上げするとして。

しかし、生きてるやつがどっかの機能不全で生命活動を終えざるをえず、結果「ものになる」というのは断絶感があるのでは? 分子供給が途だえ「壊れる」のは普通のことなのか、文系門外漢には判りません。はたまた近代デカルト「 2分割論」の桎梏にはまり過ぎか。

身体的に「生きている」とは、各部が「勝手に動いとる」ってことですな。その調和というか、機械の構造と連動に比してチョー(やばいくらい)高等複雑な体系をなしている点に、かつてあたまの良いひと達が「かみの働き」を観取したのも、頷けないことではない。「勝手に動いとる」のを「たましい」と表現したのも、極めて判りやすいすな。金魚から、最後のたましいが抜けてしまった…という世界観(死生観)。

一旬ほど沈黙冬眠(おそらく殻外縁部の拡大に注力)していた 2枚貝が起きました。ぬま化しつつある水界、はよプランクトンを食べて「綺麗に」しておくれ。…これ、人間(ジンカン)め線か(笑

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