ブッダ教の鳥瞰②(内容)

2025年12月08日

私的備忘。自宗派正当化の「坊主臭を除いた」ノート。…な、長い(笑

 a. 雑駁な「比較宗教」

ブッダ教(bauddha darsana)の特徴として、①至高神が不在であること、②「ブッダ」はかみ以上の地位にある(一種の普遍的至高存在の顕現である)こと、③「聖典」は膨大で/内容一致がないこと、④恐ろしく多様性に富む(友愛/連帯、中心組織を缺く)こと、などが挙げられる。伝道言語が(結果的に)固定化した点は、他教と同じである。以下の3つを「帰依」することを表明するだけでた易く信者になれる点も、特徴的だろう。

 b. 基本:缺かせない 3つのもの 

①目ざめたひと(ブッダ)…また「理解したもの」の意。史的存在のガウタマのみならず、永遠のときのなかで全ての達成者にあて嵌まる。ガウタマの人生(とされたもの)を見ると、かれは生前に「目ざめが約束されたもの」(bodhisattva)になり、新たに「ひととしての」最後の生を受けた(人間しかブッダに成れない)。30歳ころ一晩の瞑想で「完全に知り尽くした」(他教の「啓示への信仰」と異なり、その基盤は「経験による理解」=世界からの解放である)。自己成就で終わることができたにも拘わらず「慈悲ゆえ」(恩恵)伝道を始める。そうして「ダルマの神髄(dharma-cakra)」が回され始める。またそれは、「存在へと縛り付ける燃料」(karman)の残滓を燃やす必要があるためだった。これが終わって、かれは完全消滅(nirvana:「寂静への入滅」)した。

②教え(dharma)…「ダルマ」は、世界原理/その説明/意識対象としての現象事実/超越すべきもの/その方法/伴う道徳、これら全ての教えと、その意味範囲を広くしている。これは「世界の真のすがた」を説いたもので、ブッダからも自立している(ブッダより偉い)点が重要である。その基本の教えが 4つの真実(catur-arya-satya)で、「この世界のひとの現実を知るための要約」にして「それからの解放の必要」を言っている。①不快さ/悲哀(「苦しみ」ではない)=嫌なものの所有/欲するものの非所有。②欲望を満たそうと行動し「カルマ」を積む(行いに責任が伴う)、カルマは自らが造り/自らを造る、それは条件づけられた生起=連鎖体系(pratitya-samutpada)により起きる。③状況/原因を理解したなら「カルマ(行為の重荷)づくり」を止めること、行為を止めれば生存循環に再び落ちなくて済む。④だが行為(かつ欲望)を消し去ることは至難、長い過程を「良い行い」「瞑想」「知恵」で過ごさねばならない。

これは、病状診断/病因/治癒可能性/処方という「古代インドの医者の手法」である(ガウタマは純粋哲学質疑を嫌った)。また、当時の世界観/前提事項に立脚していた(非ブッダ伝統教徒は主張された無我こそ否定するものの、超越的自我を信じその一体化を目指すという点で「現象的わたし」の不在と生々流転のなか彷徨い続ける悲惨さというものを共有していた)。しかし、教え(ダルマ)はインドを離れると、そのカルマ/よの無常(ひとの儚さ)についてはよく受容される一方で、「生類うまれ変わり(samsara)の悲惨さ」は伝わらず、自由放免(vimukti :「解脱」)も深く浸透しなかった。

③教団(samgha)…記念碑(stupa)に遺骨を納め「ブッダの教えが生き続けている」めじるしとするが、多くその近くに僧院が建てられた。ダルマの正確伝達/実践を保証するのが教団の責務であるが、教的規律を守りながら世俗生活を送るのは実際不可能だった。なぜなら「家族を捨てたシッダールタ王子の足跡を辿り」社会とかけ離れて生活しなくてはならないが、「清らかな生活」にも必需物資(を提供する俗人)が不可缺だからである。争点を調停する編纂会議(samgiti)を経て、サムガが整えられてゆく。(現在われわれが言う)僧とは本来「もの持たず」であり、(非僧信徒から施され)食べ/着る乞食(bhiksu)たらねばならない。両者の役務分担は明確で、ビクシュ(僧)は瞑想実践/教義研究/戒律順守(団内で250戒を守る)に専念する。在家(upasaka)はだれであれ家庭生活を営みつつ、①可能な限り 5戒(殺さぬ/盗まぬ/媾わらぬ/騙らぬ/飲まぬ)を守り、②教団のために定期布施をする。善行をなせば利益(punya)を得られるが、教団へのそれこそ最確実のものだとされた。

僧/俗(ビクシュ/ウパーサカ)の在りかたに関して、(差別的だが)女性のからだは「穢れており」おとこに転生しないとブッダにはなれない。肉欲と同じく「妻子への愛着」(家族のきずな)もまた批判される(ので在家は僧より「幾つも劣る」)。最初期には「修行僧の一箇所停留」は許されていなかったが、すぐ僧院(vihara)=定住生活が生まれる。ただしビクシュは、(カルマの結果にみを晒すことになるが)僧院を離れても咎められなかった。さらに、目的は「ブッダになる」ことではなく(現在の宇宙期間にはひとりしか出現しない/もう出てしまい「なれる」余地がないため)、「目ざめの平安に至る」ことである。これに向けて邁進できるのは(物質制約から逃れた)乞食僧侶だけとなる。何千年のなか障礙を除き去ったもののみ、ブッダの次位たる「供養尊敬にあたいするもの」(arhat)になれる。これは、①輪廻解放/カルマ消滅/決定入滅を得た「ほぼブッダ」で、②ブッダのこえを聴き完全実践したもの(sravaka)が到達できる最上位である。こうしたまなざしのもと、教壇構成員は自らのつみを告白し/懺悔し/潔斎し/個別生活を送り/瞑想に励む。

 c. 展開①:新たな教え(教派)

大宗教は発展とともに分裂し、硬化して仲裁不可能=対立となることが多いが、ブッダ教は一神教に比して「より深く継続的に分裂」した結果、知性面でなみはずれて多彩になった。紀元後の数世紀にわたって「異なる潮流」は細分化し、(教えに新次元を与える教義開示のため)革命的経典がつぎからつぎへと創作されていった。

人間が到達しうる最高位(アルハット)を目標に「ひたすら教義を極め瞑想を実践する」伝統教団/僧侶、その倫理制約を打ち破ろうとする潮流「マハー乗り」(mahayana)が登場する。その斬新果敢な教義は、文字=テクストによって広がることができた。かれらは、①「小乗」(伝統教派は指した蔑称)は全面過誤ではないが不十分/入門であり「凌駕すべきもの」である、②ブッダの教えは「受けとめるものの知的水準に応じる」ので(その絶対真実を)表現しえず、(表現できないのだから、逆に)「完璧に誤った教え」はない、と主張した。そこではさらに、以下が重要視されてゆく。①修行者の究極目的は「ブッダ状態への到達」換言すれば「目ざめが約束されたもの」(ボーディサットヴァ:「菩薩」)になることだが、そのて始めが目覚めへの「想いを描くこと」、そして自己救済だけでなくて慈悲から功徳を「苦しむこのよの生物に向けること」である。②かれは、特有する特殊知性(prajna:「般若」)で利他への慈悲をおこなうが、これにより自らを犠牲に生物救済を為す「振り与え」行為が可能になる。諸実践のうちで最重要なのが「特殊知性の卓越/彼岸」(prajna paramita)となる。③「振り与え」により「自分ひとりのみでなす行為」の重圧が軽くなるので、伝統的な個人主義=カルマの重要性は低下する。「アヴァローキテーシュヴァラは困り果てたものに呼ばれると助けに往く」(2世紀に成立した「白蓮華な優れたテクスト 」)。④教団規律が疑問視され(少しのちの「ヴィマラキールティが語る教え」 )、在家にも向けられた単純化規律集(bodhisattva-sila)ができあがる。⑤フッダも再定義され、そのインフレーション(創作/増設)が容認される。かれの史実は「慈悲からの演出」であり、「隔絶のむかしに覚醒入滅していた」と説き直される。だから宇宙には無数のブッダが存在する(世界西方のアミターバもその一)。あまたのブッダの「慈悲にすがる」ことが大切である。

並行して教学が体系化され、哲学考察が進んでゆく。①「全現象はゆめまぼろし/あわ/かげ/かみなりの様なもの」という空概念(「まんなかのみち」教派)と論理学はチベット仏教に流れ、②「ただこころのみ」教派は中華に流れる(論理学は残らなかった)。

最後に「ヴァジュラ乗り」(vajrayana)が出現。別名、「経/儀礼」意のタントラ(tantra)。かれらは「シャカよりもろもろのブッダが偉い/高次元」で、この教示を学ぶには「師から儀礼許可をもらい」「その監督指導下で修行せねばならぬ」点を主張した。従前、「良い行い」「瞑想」「知恵」によって達成してきたものを、①細部規定の魔術的実践でめざすが、②それは全対立物の融け合った完璧一体化(至高の実現)であるとした。特徴としては、実践図像(mandala:至高ブッダたるマハーヴァイローチャナを投影した「宇宙の図式表現」)でそれを構成するブッダ/ボーディサットヴァのひとつと一体化すること、世間超越の尊格に結びついている一個/複数のおと(mantra)を弟子は「瞑想の支えとして」授かることが挙げられる。この(始原仏教と大きく乖離した)潮流はヒンドゥー密教の影響下(5~7世紀に)発展し、インド仏教の最終形態になった。

 d. 展開②:本の問題

ガウタマの死後、文字が未発達だったためダルマの継承は暗誦に拠った。畢竟、どれを暗誦してゆくかを決める必要(編集会議)が出てきた。アショーカの法勅に記された「研鑽すべき」7テキストは、現存の「正統仏典」に該当するものが無い(消えてしまった)点はおもしろい。教義「聖典」の成立は、シャカの弟子に溯らない前3世紀である。それは①ブッダに帰される教えの全体が組織され、②教団により意味あるテクストの集成「叢書」と認定される、という過程を経ていた。叢書は、全体で暗/読誦され、早い時期に厳密に「3つのかご」(tri-pitaka)へと分類された。

①スートラピタカ(経のかご)…全て「わたしはこう聞いた」で始まるが、内容/長さは多様。過去生民話「ジャータカや格言集『ダンマパダ』も収録される。スートラ(sutra)は「注釈が必要なほど短い金言」の意だが、かなり反復的な本文と矛盾している。

②ヴィナヤピタカ(律のかご)…教団の行動規範集。僧個人とサムガ運営についての詳細で、スートラ同等(ブッダの言なり)の権威を持つ。東南アジアに1つ/中華に5つ残存するという。

③アビダルマピタカ(論のかご)…概括が難しいもの(形而上学/超越教義/技術的再考など)で、かつスートラピタカに散在する教えを体系的に再編し質疑応答を加えたもの(とても合理的)。「注釈の流れ」を繋いで思想の継続発展を可能にした。時代とともに肥大化する。

この3叢書は、ブッダの精神的身体として「遺品(ブッダ足跡いし)以上の尊崇」を、少なくとも同等敬意を要するとされた。各地域に現存する3叢書について、①共通部分は限られるが、②「ある一経典に凝縮されているのではなく」(ブッダの教えは)叢書全体に含まれている、という認識は一致している。東南アジアで3叢書 は教団の知的生活の中心に位置しているが、逆に中華(特に日本)の特定宗派ではこれらの価値が大きく低められた。

ブッダの教えを多くの諸民族に伝えようとすることが「巨大翻訳活動」の出発点で、それが諸言語の形成に深い影響を及ぼしている。アショーカのインド帝国(マウリヤ朝)言語に比較的近いパーリ(「聖典」の意)語のテクストは、全て翻訳である。当時の知的宗教言語はサンスクリットだったが、(バラモン教と密着していたため)ブッダはその使用を弟子に控えさせていた。しかし「マハー乗り」 の登場とともに(当時、諸分野筆記に用いられ始めた)「混淆サンスクリット」が優先使用される。各地に波及くた仏典の大半は、古語から逸脱したこれで記された。朝鮮/日本では、大蔵経(「3つのかご」に後世経典が追加混入された「不純」叢書)が母語に訳されず漢文のまま読まれた(しかし日本では9世紀ころ、仏僧が「訓点置換法」を編みだす)。モンゴル僧侶は、学習/著作すべてにチベット語を用い、母語翻訳をおこなわなかった。清帝国は、大蔵経カンギュル(「仏説部」)の満洲語訳を(チベット僧監督下、華語訳と対照しながら)行った。東南アジアではパーリ大蔵経を中心に、各地言語に翻訳されていった。ただし、注釈/法話は当然、現地の言葉でなされている。

チベット仏教は(「マハー乗り」で「自己解脱派」と教義/修行体系は異なれど)1つのまとまった大蔵経を共有し、本来の教団(サムガ)も存続し、「始原のすがたを見失っていない」と言える。対して中華仏教では、単発的翻訳がなされ、その活動が連綿と続き膨大な経典数となるが、教えの総体理解ではない「単品紹介」に留まった。中華僧は、大蔵経の一部経典だけに基づいてブッダ教を理解する「偏食」を重ねたこと(本来のそれとは乖離した「中華仏教」の形成)になる。全体像の見えぬなかで生まれたのが、浄土教と華厳宗/禅宗/天台宗などだった。これらは、①開祖各人が自らの基準で取捨選択した幾つかの経典/注釈書のみに依拠し、②相互間に仏教的共通性を缺く独自の教義/修行体系/制度をもつものである。日本仏教も実はこの中華仏教の延長線上にあり、偏食(「専修」)傾向がより高まった。①南都六宗も名(華厳/律/俱舎)から窺えるように特定の経典/論書を専門に学ぶもので以降より特化し、②経典そのものも漢訳仏典のままで和訳されることすらなかった。一般信者にとっても仏教は「理解を伴う信仰」に至らず、行事法要(葬式/墓参/彼岸/盆)で消化するだけの存在に終わっている。ガラパゴス仏教化しているわけである。この「和仏教の特異性」を世界文脈のなかで客観的に認識することは重要だろう。また敢えて言えば、これらの逸脱過誤を一蹴せず「多様文化になみ外れて適応し特異の豊かさを作ってきた」ブッダ教に思いを到らすことも有益かも知れない。

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