こうるさい話題
2025年12月05日
きのうの新聞にて、「旧姓通称使用」関連で。
政策やその賛否についてどーこー言うのではなく…「選択的夫婦別姓」を推進するなにかの団体のことばとして「…結婚しても改姓したくない、自分の姓で生涯を全うしたいと訴えてきた」とあった。そこに込められた思い/言いたいことは重々わかっていて、そのうえ敢えてこうるさく言います。
(歴史上の「姓」と乖離している現行語法を無視するとして)われわれが用いているものは「ちちおや(或いはははおや)の姓」であり、「自分の姓」ではない。ペンネームなり、帰化した異郷のひとが改姓したものが「自分の姓」である。基本はそこで、次いで当人の自由意識で「ちちおやの姓」も「自分のもの」とすることになる。同じ文脈で、「旦那の姓」を「自分のもの」と考えるのも全く問題ない。
(「性の不一致」話題でも言及したが)夫婦別姓は「からだの性と異なる意識の性を大切にする」と同様に中途半端である。(逆の方であれ)社会的性感覚に拘っている点と「ちち(はは)おやの姓」に固執する点が通じているからである。ここで徹底する立ちばは、「自分の姓の創作/初めの姓の破棄」となる。「おとこらしさ」のそれと同様、旧姓/別姓の否定である。しかし当然、そんなものが姓であるのかという話しになるが、「理屈としては」それが正当になる。