恥ずかしいことに、ずっと「ジュッサツ」とま違って言っていた。教えごに「競」の字を誤って書い(てい)たのを指摘されて以来の痛恨事(笑

むかし、さきんじて都市社会を築いていた中華の役人は、みなみの沿岸部から列島にかけ生活する水界のたみを「倭人」と呼んだ。当時、勉強のできなかったかれらは「そうかい」と受け入れていたが、中華の文字が判るようになってきてそれが「ちびなやつ」を意味していることを知る(御存知「中華思想」)。やがて華人の帝国に対し政府みたいのものをつくり始め、ワジンの当て字を「和」に変えた。自称「やまと」の人々、他称「和人」に改めたのだ。実力面で雲泥の差はあったが、それでも帝国に引けを取らぬよう自分達のくにをビッグな和、つまり「大和」とした。背伸び感がなんともいじらしい呼びかただった。

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