研究史

2026年01月11日

余暇があったので卒論を繕っています。

内容ではなく、脚注。(なかみにてを出したら終わらない) 電子保存していたが、新旧/種類の違いからかいつしか注だけまっさら消えていた。幸い「紙」もあったんで、電子にぽちぽち復元しとる…という地味な営為です。あがったら、当欄に上梓しようかと。どっかに「世界史を深めよう」と志す若輩がいて役に立つとも限らぬので。

研究史、なるもんがある。字句の如く、例えば「甲斐の武田信玄」ならその研究の歴史、のこと。だれそれがこれこれ研究してきましたわ…を纏めるもんである。そんなものなにがおもしろいのだ! 直球志向のわたしならずとも感じられる御仁も多いでしょう。古代ギリシアを深めたいんであってシュリーマンの発掘云々なんぞどーだっていい! うむうむ。 …しかしこれが、(まあ、まっとうな勉強の)基礎として要求されるのだ。なぜ七面倒なこと(課題への努力、そのための努力)をしなきゃならんのか。

よほどの異才ならすっ飛ばしても大丈夫でしょう。しかし、わたしの様な凡才達はやった方が「近道」にもなる。

A/B/Cにそれぞれ A'/B'/C'っちゅう成果/結論がある。A'と B'が対立しとる、前者が良さそうだ…こんなのを「考察」する。このとき、Aと Bが「並列」でないと、少し思案を要する。例うれば、師匠(A)の意見に弟子(B)が否定的意見を生みだしたという状況。どっちに軍配を上げるかはさておき、両者の関係は「直列」だから対等に扱ってはいけない。Aがいるから Bがいる。A'があったから(批判対立物であれ)B'が生まれたわけである。B/B'は A/A'に依拠している(後者の方が「偉い」)…函数の yと同じである( xがはこに投入されて「初めて出てくる」)。長嶋/原/阿部(吉田/掛布/矢野でもよい)、バッティングを「並列」比較するのは自由だが、長嶋は原と阿部の影響を受けていない点に鈍感だとすれば、すでに歴史感覚が貧しいと言わねばならない。イエスはユダヤ人だろうし、イスラームは一神教の先輩信者を「啓典のたみ」とした。親鸞/日蓮も比叡山(天台宗)に学んだだろう。イギリスへの初留学生夏目金之助は、「江戸」素養の漢文に優れていたのは周知。…終局なんなのよ、と言われれば、研究史をやっとけば長嶋/原/阿部(とその特徴/成果)の「直列」具あいが判るのである。別弟子の継承発展された意見(C')に魅力を感ずれば、そのみなもと(A')も覗いてみようとなるわけだ。結局は同価値でも、Aと Cを一緒くたにしないのが「胆」だってことである。

と! かなり「うえから」ぶちましたが、我が卒論に研究史は不在です(笑

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