遠くのやまは「雪づき」、濃いお茶の旨い時候です。初冬、珈琲より茶の方が一段ばかり良い。近くのマルシェで「きなこ捻り」を売らなくなってしまった…。あずきの「あまなっとう」を買う。 当欄の接続等を確認するとき、しばしば検索しているが、一緒に引っかかってくるものを紹介します。

あさ読書で、うえに関する素敵な文章に邂逅したので、記します。短くも、正解めじろ押し!って感じ(笑 森本哲郎『私のニジェール探検行』(中央公論社、1982)。

とりあえず、武門で、徳川氏について。松平元康、いえの通字「忠」「康」。改名し①家康となる。長子信康/次子秀康/三子②秀忠、ボスのなまえ受け(「元」もそう)。松平家「忠」で「正嫡」化か。通字「家」らしいが、子息に無し。3分家のうちふたつが「頼」。秀忠の子息、③家光/忠長(おまけ保科正之)。家光は当初「家忠」案だったという。家光のこは④家綱/綱重/⑤綱吉。本すじ(あに貴)の「綱」をありがたく「うえに戴く」ので、こうなる。綱重は若く死んだので将軍襲名?できず。綱吉、大きくなれた男子なし。⑥家宣は綱重のこで、初名「綱豊」。「つな時代」が窺われる(笑...

ゲーテが話題にあがったところで、痛恨の「なまえが出ない!」(笑 シラーは引っかかってきたが、結局おもいだせず「ヨハン」を調べることに…。脳の老化に気をつけませう(笑

「住民寄託」制の開始 .....悪疫が猛威を振るうなか、3000人もの植民人口を抱えながらも食料危機などの社会混乱が大きくなっていたエスパニョーラ島で、総督オバンドはカトリック両王にインディオ住民の「寄託」(エンコミエンダ)制を要請する。もともと「ムスリムから奪った土地を一時的に下賜する」ものだったが、土地ではなく現地民を「託する」こと、返して言えばインディオはカスティーリャ人のもとで従者として生活すべきことが、強制的に定められたのである。インディオを保護しキリスト教化する義務を負ったが、植民者達は自らの黄金探索や食料生産に働かせるという権利側面ばかりを追求していった。

て、ほどじゃないが、過去に「氷晶書房」事業で教科書を買って頂いたかたとのやりとりを掲載します(若干いい回しなど、てを入れています)

6月 29

日光浴

時候となってきた。「ひ浴びを楽しむ(わざわざ)」、これに理解の焦点がぼやけるかたも多いのでは。大都市だとビルかげのじめじめべや、ってのもあるかも知れんが…。

祖父のいとこが少年のころ、北海道に下向起居するさい、その祖父( 2代当主)から「北海道はくまが出るので(護身用に)この短刀を持ってゆきなさい」と、初代当主が(江戸時代末期に)苗字とともに領主より拝領したそれをこちらへと持ってきたようです。ご当人いわく

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